7Apr
母が亡くなり、1週間ほど北海道の実家へ帰省していました。
正確には、亡くなったから帰省したわけではなく、まさか亡くなるとは思ってもいませんでした。
どうやってこの折れた気持ちを立て直したらいいのかわからず、でも仕事も家事もやらなくてはいけないわけで・・・
まずは日記に思いを綴ろうと思いました。
暗い話になりますので、読みたくないと思われる方はどうぞスルーしてください。
血液検査を受けたところ結果がよくなく、詳しいことを調べるために母は検査入院をしました。
もう歳も歳なので絶好調というわけにはいかないのですが、どこかが痛いとか、ものすごく調子が悪いというわけでもありませんでした。
検査入院の前は普通の生活をおくっていて、入院の日も自分の足で歩いて病院へ入っています。
まずは体力をつけてから検査という運びになる予定でした。
はじめの2日間ほどは元気にしていたらしいのですが、入院して安心したのでしょうか。突然、意識不明になってしまいました。
私が姉から連絡を受けたときも、回復するのだろうと思っていたんです。
3月31日に北海道へ到着。
4月2日からアニまるの大学がはじまるけれど、ちょっとだけ一人でがんばってもらって、4日には帰ろうと考えていました。
31日は意識がない母に声をかけたり、手をさすったりしながら夕方まで付き添っていました。
次の日は午前中に一度病院へ行き、夕方にまた病院へ行ったあと、姉と二人で泊まり込んで付き添うことにしていました。
夕方遅くになって、血圧の数値が極端に下がったりするのが気になってはいたのですが、時々上がるのでこんな状態が続くのかなと思っていました。
午後9時半、消灯の時間になったので父と義兄は家に帰りました。
午後10時すぎ、心電図などのモニターの数字がガクンと下がり、看護師さんたちが病室へ飛んできました。
そして医師から「このまま数値は下がっていくと思われます。ご家族に連絡してください。」と言われました。
姉が慌てて父と義兄に電話をしているとき、モニターのすべての数字が「0」になってしまったのです。
父が到着したところで医師が呼吸、脈、瞳孔を確認し、午後10時50分、母は亡くなりました。
結局なんだったのか、先生も私たちもわからなかったんです。
もちろん先生は経験から、母の状態から長くないということはわかっていたんだと思います。
延命処置の話を父と姉にしていたそうなので。
でも、とにかくはっきりとしたことがわからないので言えないのです。
検査ができないし、母はどこも痛くも苦しくもないということだったので、先生としても「??」だったのでしょう。
亡くなって少したってから、病理解剖をさせてほいしいと申し出がありました。
もちろん断ることはできます。
でも非常に珍しい症例のようだったので、今後の医療に役立つのであればということで、姉、義兄、私は承諾しました。
父としては母の体に傷をづけるのが嫌だろうと思ったのですが、父も承諾しました。
その後すぐに病理解剖がはじまり、約3時間後に終了しました。
詳しい結果というのは3~4カ月後になるそうなのですが、開いて見たところでは、腹膜全体にガンが飛び散った状態で、腹水が6リットル溜まっていたそうです。この他にも胆のうにガンが見つかったそうですが、これはほんの初期で、腹膜全体にガンが飛び散ったことで一気にステージ4のガンになってしまったと思われるのだそうです。
他にもいろいろ弱っていたところがあったようですが・・・先生の話し、憶えていないわ・・・
ただ本当の死因については、3~4カ月後の結果を待つしかありません。
先生が言っていたんです。「この状態で普通に生活をおくっていたことが不思議です」と。
「本当に痛がっていなかったんですか?」とも。
我慢強い母ではあったけれど、いくらなんでも痛みは訴えると思うんですよね。
母は苦しまずに逝けたのかな・・・
葬儀には北海道内はもちろん、愛知県や神奈川県から甥っ子姪っ子まで駆けつけてくれました。
本当にありがたかったです。
従兄弟たちと母の思い出話しをしていたんですが、みんな「おばさんの○○がおいしかった。」「○○のときの食事には感動した」という話をするんですね。親戚が20人とか30人とか集まったときでも、がんばって作っていたもんなぁ。
うちに住んでいるんじゃないかと思えるくらい、いつもいた従兄弟もいたし。
姉と私にとっては当たり前だったけど、もしかして母は料理上手だったのかも?
定年まで看護婦(看護師)として働いていたから、毎日忙しかったのに。
混ぜご飯の作り方だけ教えてもらう機会がなかったんだよな。ものすごい後悔。
私が母に会ったのは、昨年の3月以来で1年振りでした。
今回は話しができなかったけど、昨年最後にした会話で思い出すのは「(帰省中)毎日ご飯の支度をしてくれて助かったよ。ありがとう。」です。
ありがとうって・・・私が言うセリフだよ。
社会人になっても毎日母にお弁当を作ってもらっていた私ってバカみたい。
どうしてわからなかったんだろう。毎日仕事と家事で疲れていたってこと。
どんなに疲れていてもニコニコしていたからなのかな。
お母さんありがとう、ありがとう、ありがとう。いくら言っても足りないわ。
母が亡くなって心配なのは、やっぱり父のことかな。
あの家で独りぼっち。
今年の夏休みは家族みんなで遊びに行く予定だけど、あの家にもう母はいないんだな。
なんだかよくわからない。お母さんがいないってどういうことだろう?
この気持ちから立ち直るには、とにかく毎日一生懸命過ごすことかなと思っています。
家事も仕事も。家族のためにもシャンとしなくちゃ。
お母さん、私がんばるからね。安心してね。
関連記事
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
お母さま、あっという間に逝ってしまわれて…。
お気持ち、お察しいたします(涙)。
kaboさんから想像するに、きっとお料理上手な素敵なお母さま。
突然のお別れを受け入れるには時間がかかりそうですね。
実は私の母も、体調不良の原因が分からず経過観察中です。
内視鏡やCTをやっても原因が分からず…。
お母さまのような症例もあるのですね。
母をなくすということがどういうことか、
まだ私には分かりませんが、
誰もが通る道…
頑張って乗り越えるしかなさそうですね。
応援しています。
お体、気を付けて。
●momoさん
お久しぶりです。お心遣いと温かい言葉、ありがとうございます。
momoさんのコメントを読んで泣いてしまいました。
momoさんのお母様も原因不明の体調不良なのですね。
本当に心配です。
私の母もCTやエコーでは何もわからず、検査入院に至ったんです。
momoさんのお母様は、原因がわかって治療がすすみ回復されますよう心から願っています。
どれくらい時間がかかるのか今はわかりませんが
momoさんのおっしゃるとおり、頑張って乗り越えていくしかないですよね。
無理しないようにしながら頑張っていきます。
本当にありがとうございます。
この度は、心からお悔やみ申し上げます。
突然のことで、日記からKaboさんの戸惑いが感じられました。
Kaboさんの「しっかりしなくちゃ」という気持ちすごくよくわかるんだけど、でも無理はしないでくださいね。
●キティさん
キティさん、ありがとうございます。
キティさんはいつも私に優しくて、本当にありがたく思っています。
キティさんのおっしゃるとおり、無理はダメですよね。
私を必要としている家族もいるわけですし。
少しずつになりますが、乗り越えていこうと思っています。
キティさん、ありがとう。
このたびは急なお別れになってしまい、さぞ戸惑われたことと思います。
私も3年前に夫の母、去年夫の祖母、友人とお別れしてきました。
お気持ちお察しいたします。
お料理上手なお母様、きっとkaboさんにも受け継がれていると思います。
あまり無理しないでくださいね。
●トク丸さん
お心遣いありがとうございます。
トク丸さんも悲しいお別れが続いていたのですね。
私は実家が遠いため、親の死に目には会えないとずっと思ってきました。
でも、母は意識がなかったものの、最期を看取ることができてよかったなと思っています。
無理せず、これからもがんばります。
Kaboちゃん体調はいかがですか?
私はしゃんとしなくていいと思う
頑張らなくていいと思うよ
ブログよく更新したね
頑張ったね
ゆっくり行こうね
アニくんおめでとうございます
本当に良かったね
また来ます
●なつみさん
なつみさん、温かい言葉をありがとう。
本当に心がほっこりしました。
実は全然しゃんとなんてしていないの。
何かを一生懸命やっているときはいいんだけど、ふとしたときに涙が出てきてしまうんです。
まだまだかかりそうだけど、少しずつ心を整理していこうと思っています。
アニまるのこともありがとう!
無事、大学生になりました^_^